2007年3月28日 (水)

Irresponsible Man

植木等さんが亡くなった。以前、植木さんへの思いはここに書いた。

※以下は山下勝利氏著「ハナ肇とクレージーキャッツ物語」からの自由な抜粋である。

植木等は酒がまったく飲めない。なめるのもダメ。クレージーキャッツに入って間もないころ、ジンフィズをジュースだといって飲まされたことがあるが、あっという間にその場で気絶してしまった。
「酒が飲めないってことで、人生半分くらい損してるんじゃないかと思いますね」
飲んだことによって人の輪が広がるということがない。それが残念だと植木等はいう。
「体質として合わないんでしょうね。眠れないときは寝酒に限るなんていわれても、まるでだめですから」
映画でビールを一気になんていうシーンでは、本物のビールをコップについで、乾杯というところでカメラは植木等の顔のアップ。舌なめずりなどして時間をかせいでいるうちに、テーブルの下に寝ていた助監督があわてて番茶を割バシでかきまぜて、泡が立ったところで素早く取り替えて一気という具合であった。
「石鹸の泡を口のまわりにつけてプワーッとやったりね」

植木等が生まれたのは「戸籍では」昭和二年二月二十五日だが、実際に生まれたのは前年の十二月二十五日で、元号が昭和になった日でもある。
出生届を出すように頼んでいた父親の弟が出し忘れたためで、植木等は寅年なのに卯年にされてしまったわけである。
「ですから、本来ならウサギみたいなトラ。見かけはおとなしいけど中身はコワイ、のはずなんですが、これがどういうわけか、トラみたいなウサギになっちゃって。この外見とのギャップはクレージーに入ってからもずっとついて回るわけです」

植木等の父親、徹之助は破天荒な人物で、植木等は父親のことを話すとき「支離滅裂」という言葉を必ず使う。
「親父の人格と人生を見ているとまさにそのとおりなんです。まず若いころ、キリスト教の洗礼を受けて神の下僕となり、その関係が清算されたのかどうかはっきりしないうちに僧籍に入っちゃうんですから」
植木等が物心ついたときには、父親は得度を受け僧轍誠となっていたそうだ。しかもその間、社会主義者として労働運動、部落解放運動などに熱心に取り組んでいた。戦時中には治安維持法違反で何度か検挙され、都合三年間の獄中生活を送っている。
「それでも親父は節を曲げず、戦争は集団殺人だと叫び、出征兵士には人を殺すな、お前も生きて帰れと言い続けていたんですから、求道者としては首尾一貫していたのかもしれません」
しかし、この父親は二十代の初めには自分でつけた芸名<植木東響>を名乗ってプロの芸人を目指した時期があったという。
「こうした支離滅裂な親父でしたが、弱くて貧しい生身の人間に対する優しさというか共感、それだけは一本芯が通ってましたね」

その父親の口ぐせは「そのうちに何とかなる」だった。楽天家でもあったのだろう。植木等の芸の上でのキャラクターにも通じるものがある。父親は色紙を頼まれるといつもこう書いた。
「割り切れぬまま割り切れる憂世かな」
いまの自分なら「憂世」のところを「浮世」と書きたいと植木等はいう。憂世じゃなんとも暗くて重い。人生、もっと軽くいこうよと。

Ueki

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2006年4月11日 (火)

タイムマシン

News以下の文章は前に萩原健一さんのファンの方からいただいた新聞の切り抜き記事をそのまま書き写したものである。
記事の内容から1975年7月の記事であることがわかる。
では30年以上前にタイムスリップしてみよう。


ショーケン(萩原健一)の軌跡と奇跡

タレントと俳優と役者をどう使いわけるのかはっきりしないが、グループ・サウンズで歌っていたタレントが、映画やテレビドラマに出はじめると俳優になり、その演技力を買われると"役者根性"ってな言われ方をする。タレント出身俳優ショーケン-----萩原健一の昨今の"注目のされ方"はすごい。そのターレント(才能)の軌跡を追いながら、ブラウン管とスクリーンでの演技の秘密をさぐり、証言を集めてみた。

周囲の証言

「彼が岡田以蔵役で画面に出ると、それまで殺到していた"いつから出るか"という投書はパッタリ。その代わり、いま本人が局へきているかって電話がかかりっぱなしなんです」(NHKテレビ「勝海舟」スタッフへの反響)
「映画"青春の蹉跌"の試写アンケート結果は、彼を見たいという動機が41%、次が何となくで32%でした」(東宝)
彼-----つまり萩原健一への"人気"のバロメーターである。
今月25日で25歳。中学3年の時、仲間とグループ・サウンズ「ザ・テンプターズ」を組み、高校中退後、それを再編成してプロに。

前から芝居への興味

当時のライバル・チーム「ザ・スパイダース」のリーダーだった田辺昭知氏(田辺エージェンシー社長)は「歌っているころから、彼の中に芝居への興味があったんじゃないかな。身につけるものやファッション感覚の中にもそんなものが見受けられた」という。
この"芝居への興味"を、まずテレビが発見した。初の本格的テレビ出演となった「明智探偵事務所」(NHK)の成島庸夫プロデューサーは「彼の持つ甘さ、ナイーブさが出ればと思って起用した」と2年前を振り返る。
「明智・・・」と並行して作られた斉藤耕一監督の映画「約束」(松竹)で彼は"現代の若者を表現する演技"を決定的なものにした。
「この映画を見てすごいと思った。本当に現代のフィーリング、いまそのものだった」と「太陽にほえろ!」(日本テレビ)の岡田晋吉プロデューサー。「何よりも彼の体当たり的演技に感心した」

既成役者にない演技

"体当たり"といういい方は、タレントも俳優もわりとたやすく口にする。ショーケンの場合、その実体を周囲はどう見たか。
「真剣さに魅力がある。既成の役者がやれない芝居を思い切ってやるね」(日本テレビ「くるくるくるり」で共演した伴淳三郎)
「脚本の分析など真剣そのもの。こちらも熱気を感じた」(「勝海舟」の古閑三千郎プロデューサー)
彼の演技にじかに接した人たちは「ナウなフィーリング、現代を生きている」と声をそろえる。
こうした感覚を生む彼の演技を「青春の蹉跌」の神代辰巳監督は「自分の演技プランを持っている。今度の映画の中でも、この場面のあと、何かやってみろよと私がいうと、彼が自分で考えてやっていく、そんな場面がいくつかある。その演技プランにはまれにみるセンスがあるし、フィーリング・プラス現実の表現法を知っているユニークなやくしゃだ」。

鋭い人間観察が基盤

こうした演技は、持って生まれたものなのだろうか。岡田プロデューサーは「ペンとノートから頭で覚えたのではなくて人間観察から生まれた体験的演技だからリアリティーがある」という。
全力で走るシーンを撮る場合、普通の俳優は技術で早く走ったように見せるが、彼はとにかく全力疾走をする。ピストルを撃ち続けた場合、その反動で手がしびれてピストルを取り落とすことがあると聞けば、テープを腕に巻いてしびれさせる。電車に乗れば、足を踏まれた人がどんな表情をするか観察している。
「彼はレッスンに通ってうまくなってるんじゃない」という田辺氏の言葉は''俳優養成機関出身"のいかめしい肩書きなしに"体得"した演技の奇跡というべきか。
「従来の映画から抜け出せる役者」(神代監督)
「可能性はものすごく大きく、見当がつかない」(岡田氏)と今後への期待は大きく、40以上も年上の伴淳三郎は「オレはあいつの残したそばのつゆだって飲めるよ」と彼の人間性にもほれ込んでの賛辞である。
もっとも「うまくなるってことより、いつ見てもショーケンはいいなあって思うような俳優であってもらいたい」という田辺氏が、案外ファンの声を代表しているかもしれない。

自身のための演技論

録画を終えたテレビ局の喫茶店でサンドイッチを食べながら-----
「若者のフィーリングって、随分誤解されてるんだなあ。泣いたりわめいたり、格好ばっかりつけたがるけど、もっと内面的で、人間的なんだよ。オレ自身は、それを客観的に見てるつもりだ。いま撮ってる2つのテレビのうち、一方は内面的なものがあるけど、もう一方はここが(心臓を抑えて)ないねえ。めちゃめちゃだよ。オレだってギャラは決して安くないんだから、そんなドラマなら別な俳優つかえばいいんだ」
「オレのいいとこは考え過ぎること。悪いところも考えすぎること。仕事には神経質でね。自分が全部やってるわけじゃないんだけど。でも俳優になってよかったな。歌手だと歌曲にすべてが左右されるけど、役者はそうじゃない。やって面白いな」
「本当に悩みを打ちあけられる友だちなんていないよ。みんな一人なんじゃない?悩みごとあっても、打ちあけるとき、オレはもう結論出してるからね。それに、そんなことしたら楽にはなるかもしれないけど、でもいった場合、もうわびしくて生きていけないんじゃない?ことによったら、女房にもいわないよ。そんなのを描いたドラマをやらしてくんないかなあ」

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