Irresponsible Man
植木等さんが亡くなった。以前、植木さんへの思いはここに書いた。
※以下は山下勝利氏著「ハナ肇とクレージーキャッツ物語」からの自由な抜粋である。
植木等は酒がまったく飲めない。なめるのもダメ。クレージーキャッツに入って間もないころ、ジンフィズをジュースだといって飲まされたことがあるが、あっという間にその場で気絶してしまった。
「酒が飲めないってことで、人生半分くらい損してるんじゃないかと思いますね」
飲んだことによって人の輪が広がるということがない。それが残念だと植木等はいう。
「体質として合わないんでしょうね。眠れないときは寝酒に限るなんていわれても、まるでだめですから」
映画でビールを一気になんていうシーンでは、本物のビールをコップについで、乾杯というところでカメラは植木等の顔のアップ。舌なめずりなどして時間をかせいでいるうちに、テーブルの下に寝ていた助監督があわてて番茶を割バシでかきまぜて、泡が立ったところで素早く取り替えて一気という具合であった。
「石鹸の泡を口のまわりにつけてプワーッとやったりね」
植木等が生まれたのは「戸籍では」昭和二年二月二十五日だが、実際に生まれたのは前年の十二月二十五日で、元号が昭和になった日でもある。
出生届を出すように頼んでいた父親の弟が出し忘れたためで、植木等は寅年なのに卯年にされてしまったわけである。
「ですから、本来ならウサギみたいなトラ。見かけはおとなしいけど中身はコワイ、のはずなんですが、これがどういうわけか、トラみたいなウサギになっちゃって。この外見とのギャップはクレージーに入ってからもずっとついて回るわけです」
植木等の父親、徹之助は破天荒な人物で、植木等は父親のことを話すとき「支離滅裂」という言葉を必ず使う。
「親父の人格と人生を見ているとまさにそのとおりなんです。まず若いころ、キリスト教の洗礼を受けて神の下僕となり、その関係が清算されたのかどうかはっきりしないうちに僧籍に入っちゃうんですから」
植木等が物心ついたときには、父親は得度を受け僧轍誠となっていたそうだ。しかもその間、社会主義者として労働運動、部落解放運動などに熱心に取り組んでいた。戦時中には治安維持法違反で何度か検挙され、都合三年間の獄中生活を送っている。
「それでも親父は節を曲げず、戦争は集団殺人だと叫び、出征兵士には人を殺すな、お前も生きて帰れと言い続けていたんですから、求道者としては首尾一貫していたのかもしれません」
しかし、この父親は二十代の初めには自分でつけた芸名<植木東響>を名乗ってプロの芸人を目指した時期があったという。
「こうした支離滅裂な親父でしたが、弱くて貧しい生身の人間に対する優しさというか共感、それだけは一本芯が通ってましたね」
その父親の口ぐせは「そのうちに何とかなる」だった。楽天家でもあったのだろう。植木等の芸の上でのキャラクターにも通じるものがある。父親は色紙を頼まれるといつもこう書いた。
「割り切れぬまま割り切れる憂世かな」
いまの自分なら「憂世」のところを「浮世」と書きたいと植木等はいう。憂世じゃなんとも暗くて重い。人生、もっと軽くいこうよと。



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