2007年10月18日 (木)

Chiristina Ricci

Chiristina Ricciがお気に入りだ。
1998年の『Buffalo '66』以降の彼女は素晴らしい。

もちろん子役時代の『The Addams Family』や『Casper』でも大きな目と広い額が印象的で、存在感のある所を見せていたが、どちらかと言えば変わった少女だなというふうにしか見られなかった。
アメリカの女優はキャラ的にオーバーな人が多いのであまり好みではなかった。
唯一、Winona Ryderが贔屓だったが、変な事件後はエキセントリックになってしまったし・・
ところが『Buffalo '66』ですごく太ってしまったChiristina Ricciの演技を見てからはすっかり彼女の魅力にとりつかれてしまったようだ。

『Pecker』『200 Cigarettes』と立て続けに見たが、どちらも素敵だった。
二十歳にもならない小柄な女の子が、スクリーンですごいオーラを発していた。
ときおり見せる笑顔は無邪気で可愛いものではなくて、何だか人生や世の中の出来事を全て知り尽くしている賢者のようだった。
Jonny Deppと共演した『Sleepy Hollow』ではゴシック風味の衣装に身を包んだChiristina Ricciがやや太めだが可憐な印象の役を演じていた。
もっとも作品自体はあまり感心しなかったのだが・・
音楽が綴る大河ストーリーの『The Man Who Cried』ではユダヤ人少女の波乱に富んだ半生を演じていた。
この作品ではすっかりヨーロッパの映画に溶け込んで何の違和感もないChiristina Ricciが見られる。
プロフィールを見ると彼女は正式な演技指導を受けていないらしいが、幼くして身についた演技力は天性のものなのだろう。

『Prozac Nation』は彼女が制作も手がけた野心作で、日本では劇場公開されたのかどうか分からない。
自傷癖と薬物依存を描いたこの映画は当初字幕無しのDVDで見ていたのでセリフの細かいところが分からなかったのだが、後にCSで放映されたのでもどかしさから解放されたものである。
このころからChiristina Ricciはメジャーな作品よりもカルトっぽい映画に興味を示すようになったのだろうか、めっきり作品が日本公開されなくなった。
『Pumpkin』も学園を舞台にして精神薄弱者との交流を描いた作品だが、Amazon USAで買ったDVDを何度も見てストーリーを推測しているわけである。

2003年の『Monster』はCharlize Theronのアカデミー主演女優賞を穫った怪演が話題となったが、ストーリーのカギを握るのはChiristina Ricciであった。
荒んだ内容の作品のなかで彼女が演じた純な少女は、映画を見終わった観客にいちばん印象を残したのではないだろうか。
殺人シーンも多くて陰惨な作品だが、Chiristina Ricciを見たいがためにこの作品のDVDはすぐ出せる場所に置いてある。

今年、日本でも奇跡的に公開されている『Black Snake Moan』だが、無茶苦茶に細くなったChiristina Ricciが見られる。
今回の彼女は傷だらけでボロボロの女性の役なんだけど、やっぱりすごく魅力的だ。
Samuel L.Jackson演じるブルース・マンもすごく良くて、音楽も素晴らしい。
例によって字幕無しDVDで見たときには、どうせ日本じゃ公開されないだろうと思っていたのだが、単館で公開されているのには驚いた。
犬みたいに鎖に繋がれて、目の回りに痣を作っていたってChiristina Ricciはキレイなんだよ。本当に。

Bsm

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2006年10月25日 (水)

Claudine Auger

先日、AMAZONで『Un peu de soleil dans l'eau froide』というDVDを購入した。
邦題は『水の中の小さな太陽』といってフランソワーズ・サガンの小説が原作である。
1971年のフランス映画で、主演はクローディーヌ・オージェ。
私がこの映画を見たのは20歳のころにTVの深夜映画で放映されたもので日本語の吹き替え版であった。
その頃私は板前の見習をしていたので0時前に帰宅することはなかったから、見られる番組は再放送のドラマとか深夜映画ぐらいのものだった。

ストーリーは他愛のないメロドラマであったが、共演していたマルク・ポレルが若いころの細川俊之にそっくりだったのと、何と言ってもクローディーヌ・オージェが魅力的だったので強く印象に残っていた。
その後、ビデオやレーザーディスク等になっていないものかと思って捜していたが全く見つからず、先日たまたまAMAZON(US)をのぞいたらあったので喜んだ次第である。
DVDは全編フランス語で、もちろん聞いても何を言っているのかさっぱり分からないのだが、30年近く前に見た時の記憶と画面上の人物の動きでおおよそのセリフは推測できたから良かった。

クローディーヌ・オージェの名前を知ったのは、やはり『Thunderball 』のドミノ役である。
007にはあまり興味はなかったのだが、この映画は夢中にさせられた。
非現実的な水中アクションのシーンも勿論だし、潜水服を脱ぎ捨てるとビシッとした正装をしている(!)ショーン・コネリーも格好良かった。
しかしこの映画はクローディーヌ・オージェという女優がいたからこそロマンス色がほどよく出され、007シリーズでも屈指の作品となったのである。
彼女が元ミス・フランスであったとか、その他諸々の情報を得たのはしばらくたってからであった。

また1975年の『Flic Story』ではアラン・ドロンの恋人役を演じ、凶悪犯であるジャン・ルイ・トランティニアンとの行き詰まる駆け引きの中で重要な役所を好演している。
全編にわたりグレイな印象のこの映画でも、彼女が画面に登場すると清楚で可憐な花のように感じたものである。
ピアノを弾くシーンがとても良かった。

その後1976年には『パリの哀愁』で日本映画に出演し、沢田研二と共演したことからも、日本での人気は結構あったように思える。
残念ながら、この映画での彼女は精彩を欠いており、やはりヨーロッパで作られた作品の中でないと本来の魅力は引き出されないのかなと感じたものである。
舞台をパリにしたところで、作り手の視点が全然違うとこうも変わるものだろうか。

IMDBなどで検索するとクローディーヌ・オージェの出演作にはまだまだ未見のものもあるので、機会があればまた何か捜してみようと思う。
Ca

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2005年9月15日 (木)

偽名

aliasアメリカのTVシリーズは面白い。
子どもの頃は『ベン・ケーシー』や『コンバット』『特攻ギャリソンゴリラ』などを一生懸命に見たものである。
その後も『刑事コロンボ』シリーズや『ビバリーヒルズ高校白書・青春白書』『メルローズ・プレイス』、一大ブームになった『ツイン・ピークス』や『フレンズ』『ER』などずいぶん楽しませてくれた。

そんなわけでスカパー!のAXNはお気に入りのチャンネルである。
通常AXNでは字幕版と吹き替え版を放映しているのであるが、私が好むのは吹き替え版のほうである。
映画だと絶対的に字幕を選択するのに、なぜドラマは吹き替えに抵抗がないのだろうか。
もちろん時には吹き替えの声があまりにもミスマッチな場合もあるが、大抵は何の違和感もなくドラマを楽しむことができる。
『ツイン・ピークス』などでは吹き替えの声の印象が強かったために、カイル・マクラクラン本人の声を聞いたときに「違うじゃん」と思ったくらいだ。

さて、目下のお気に入りは『ALIAS(エイリアス)』である。
以前、NHKで放映されていて時々見ていたのだが、今回AXNでシーズン1に続いてシーズン2を放映中であり、改めて見ると実に面白い。
主人公のシドニー・ブリストゥを演じるジェニファー・ガーナーのアクションが良い。
彼女はいかにもアメリカという顔付きで、さらに筋肉質の身体であり最初に見たときは全然魅力を感じなかった。
回を追うごとにアクションにキレが出てきて(けっこうスタント無しで演じるシーンも多い)、表情も良くなっていくのがわかる。
彼女のパートナーであるマイケル・ヴォーンを演じるのはシルヴィ・バルタンの甥っ子のマイケル・ヴァータンでこのキャラクターがすごく良い。
堀内賢雄の吹き替えもはまっていて好感が持てる。
その他、シドニーの父親役のヴィクター・ガーバーや敵役のロン・リフキンの演技も重厚で素晴らしいものだ。

ゲストで出演する俳優たちがまた豪華で、クエンティン・タランティーノやロジャー・ムーア、フェイ・ダナウェイ、イーサン・ホーク、クリスチャン・スレーター、デビット・キャラダイン等が重要なシーンに登場するのでビックリさせられる。
ちなみにシーズン2から登場するシドニーの母親役はレナ・オリン(ベルイマン監督の秘蔵っ子!)で萩尾みどりが吹き替えをしている。

ドラマの内容はハードなスパイアクション&サスペンスと言った感じで、ハラハラドキドキさせられるシーンが続く。
制作総指揮・脚本・監督を務めるJ.J.エイブラムスは1966年生まれの若さであるが、テーマ曲の作曲もこなす才人で、このドラマを見たトム・クルーズが『Mi:3』の監督に彼を抜擢したことが話題となった。
シーズン1では音楽の使い方に多少甘いところも感じたが、シーズン2になってからはより引き締まった感を与える。

ドラマ中で毎回のように変装するシドニーのコスチュームがバラエティに富んでいて面白い。
敵を追って日本に来た回では着物を着て芸者に変装していた。
長身で筋肉質の彼女の芸者姿を見たときにロッキー・ホラー・ショーを連想してしまった。
なぜか働いている料亭の名は「なよし」という。何なんだ「なよし」?

アメリカでは既にシーズン5に突入しているという。
NHKは韓流一直線になってしまったから、今後の放映は予定されないだろうし。
AXNに頑張ってもらわないと.....
とりあえずシーズン1と2はDVDを購入してしまった。
ちゃんと音声が吹き替えも選べるからうれしい。
『24』の評判がよいけど、『エイリアス』のほうが楽しいよ。

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2005年9月11日 (日)

李小龍

lee部屋に貼っているカレンダーは毎年「ブルース・リー」のものである。
最近では日本版が発売されていないようなので、輸入ものを購入している。
祭日とかが違っているため実用度は低い。
月が変わってもすぐにはめくらなかったりもする。
その月の写真がお気に入りだった時とか。

ブルース・リー(李小龍)の名を一躍有名にした『燃えよドラゴン(Enter The Dragon)』が公開された当時、私は高校1年生であった。
男子生徒に与えた影響はたいへんなもので、それは髪型や「アチョーッ」という怪鳥音ばかりでなく、カバンにはゴム製の(^^;)ヌンチャクを忍ばせたり、割り箸を束ねて手刀で折ったり(なんのこっちゃ)と様々であった。

実際、この映画でのブルース・リーは圧倒的な格好良さと強さを私たちに見せつけた。
精悍な顔立ちと鍛え抜かれた身体から発するオーラはこれまでのすべてのアクションスターたちを遙か彼方に吹き飛ばしてしまうほどのものであった。
この映画を見終えて映画館を出てくる者は誰もがちょっと強くなったように錯覚したものである。
ストーリーの多少の強引さや荒唐無稽さはあるものの、最高のブルース・リーを見るために何度も繰り返し見てしまう作品である。

日本で『燃えよドラゴン』が公開されたのは1973年の12月であったが、その数ヶ月前にブルース・リーは急逝していた。
あれほど強い人間が32歳という若さで何故?という気持ちが、その後に公開された3作品を見るために私たちを映画館へと向かわせた。
『ドラゴン危機一髪(唐山大兄)』は麻薬組織のボスに復讐する単純なストーリーだが、ブルース・リーの存在感は強烈なものがある。
この作品で特別出演であったノラ・ミャオ(苗可秀)は次作『ドラゴン怒りの鉄拳(精武門)』でブルース・リーの恋人役として登場し、日本でも人気がでた。
当時の「スクリーン」や「ロードショー」の人気投票では常に男優部門がブルース・リー、女優部門がノラ・ミャオがトップであったのを記憶している。
内容は多分に反日感情の込められたものではあったが、この映画でのブルース・リーの格好良いこと!
後にリー・リンチェイ(ジェット・リー)がリメイクしたり(『フィスト・オブ・レジェンド(精武英雄)』)、ジャッキー・チェンやドニー・イェンが続編を作ったりしているが、ブルース・リーの格好良さには及ばないのだ。

『ドラゴンへの道(The Way Of The Dragon)』は香港でのブルース・リー最後の作品であり、彼自身が監督を初めて手がけたものである。
ローマを舞台に気の良い用心棒役を演じるブルース・リーは口数は少ないものの好感の持てるキャラクターである。
本作品にも出演しているノラ・ミャオの可愛さも際だっている。
そしてラストのコロッセオでのチャック・ノリスとの死闘は全ての格闘シーンの中でも最高のものであろう。
本作の原題は『猛龍過江』、『燃えよドラゴン』でチョイ役で出演したサモ・ハン・キンポー(洪金寶)が本作品へのオマージュとして制作したのが『肥龍過江』(『燃えよデブゴン』)である。

ブルース・リーの魅力はその寡黙さであり、内に秘めた熱さである。
怒りを抑え、堪え忍んだ果てに爆発する姿に私たちは打たれるのだ。
当然ながら来年もまたカレンダーはブルース・リーである。

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2005年9月 5日 (月)

流星

0024そのニュースが流れたときに「え?」と思った。
しばらく混乱した後で「嘘だろ。きっと悪い冗談だ」と思った。
だってきょうはエイプリル・フールだもの、たちの悪いジョークに違いないな。
同じような気持ちになったことが前にもあった。
ジョン・レノンが射殺されたニュースを聞いたときだ。
あのときも本当の出来事だった。
そして今度も嘘じゃなかった。

レスリー・チャン(張國榮)は数多い香港の明星にあっても特別な存在であった。
『男たちの挽歌(英雄本色』でティ・ロン(狄龍)の一本気な弟役キットを演じるレスリーを見たのがはじまりで、その後何本の作品を見たことだろうか。
シリアスなハード・アクションものでも、肩の凝らないコメディでも少年のような真剣さとあどけない笑顔が印象的であった。

『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー(倩女幽魂)』はジョイ・ウォン(王祖賢)の名前を一躍有名にした作品だが、レスリー・チャンの頼りなさげな主人公の純情っぽいところに好感を持った。
ずいぶん若い俳優なんだろうなって思ったけど、この作品当時彼は30歳。
私より2つも年上であることを知ったときにひどく驚いたものである。

ウォン・カーワイ(王家衛)監督の『欲望の翼(阿飛正傳)』は不思議な作品であった。
レスリー・チャン演じるヨディの生活感の希薄さと得られぬ愛を探し求める姿は後年の彼のイメージを予感させるものであった。
この作品で共演したカリーナ・ラウ(劉嘉玲)と再び共演した作品が『君さえいれば 金枝玉葉』である。

アニタ・ユン(袁詠儀)はこの作品ですっかり有名になってしまったが、彼女の陽の部分とは好対照な陰のキャラクターとしてレスリー・チャンの演じるサムは彼自身をそのまま演じているのではないかと思うほど自然な演技である。
ここでのレスリーは愛されることが苦痛であるかのようだ。
お互いに相手の思いを受け止めるのが男女の恋愛であるとすれば、レスリーの思いは常に一方通行でありたいというものであり、恋人との関係を望みながら否定するという矛盾をかかえているのであった。

この作品以降のレスリー・チャンにはいつも無常観や諦観がその表情から窺えるようになった。
『上海グランド(新上海灘)』や『夜半歌聲』のシリアスな演技においては勿論のこと、『金玉満堂 決戦!炎の料理人』や『恋する天使(大三元)』などの明るく楽しい作品においても時折みせる翳りの表情が忘れがたい。

孤独の道を自ら歩み、自己のセルフイメージにのみ生きていたレスリー・チャンは本当は寂しがりやであったに違いない。
自分の中での葛藤に疲れてしまったのだろうか。
希有な才能を持った明星は自分で星になってしまった。

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2005年8月28日 (日)

梁朝偉讃

2149香港映画のスター(明星)たちに共通するのはやはりその国際性であろうか。
英国による長期間の統治はこの都市に独特の文化をもたらした。
アジアのど真ん中に位置しているにもかかわらず、民族としてのアイデンティティーを喪失しかねないような立場で長い間香港の人々は暮らしてきたのである。
イングリッシュ・ネームを持ち、大多数のものが英語を話せるという特殊性は、明らかに大陸(中国)の人々とは切り離されたものだ。

香港映画が好きだというと、いまだに「ジャッキー・チェン?」とか「ブルース・リーは格好いいですよね」とか言う人が多い。
ブルース・リー(李小龍)についてはその通りだし、高校の頃にハマったのも事実であるから否定はしない。
確かにカンフーはかつての香港映画では最大のジャンルであったし、いまだにハリウッドとかでアジアのスターに要求されるのはカンフー・アクションである。
(チョウ・ユンファがいまいち成功しないのはそのせいだと思う)
私もジミー・ウォングの『片腕ドラゴン』やリー・リンチェイ(ジェット・リー)の少林寺シリーズは楽しく見たものである。
近年のチャウ・シンチー(周星馳)のヒット作『少林サッカー』や『カンフー・ハッスル』はこれらのカンフー映画に捧げるオマージュともいえる。

トニー・レオン(梁朝偉)という俳優がいる。
『地下情』というチョウ・ユンファの映画で見たのが最初だった。
なんだかちょっと頼りなさげで、気の弱そうな青年と言った印象であった。
その後『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー3』や『ハード・ボイルド』といった映画を見たが、それほど感心はしなかった。
他の香港スターと比べると、そのアクの無さからか、見るものに淡泊な印象を与えるのであった。
(ちょっと上目遣いな「眼」を除いては)

『恋する惑星』はウォン・カーウァイ(王家衛)監督とフェイ・ウォン(王菲)の名を一躍有名にしたが、実はトニー・レオンの映画であった。
この奇妙な浮遊感に満ちた作品の中ではじめてトニー・レオンは彼自身の居場所を見つけたように思える。
曇りガラスを通したような空気の感じが一瞬ピタリとピントがあったときに彼の「眼」が輝いていた。

同じくウォン・カーワイ監督の『ブエノスアイレス』もまた空気を見せる映画であった。
しかしこの映画での空気は非常に湿度の高いものに変わっていた。
同性愛につきもののジリジリするような焦燥感、どうにもならないジレンマは突き放したような映像の向こうで液体化する。
レスリー・チャンの男らしさと対照的なトニー・レオンの女々しさ(?)。

2002年の2つの作品は素晴らしいものであった。
『HERO』はジェット・リー目当てで観たのだがトニー・レオンに参ってしまった。
ほんとにスケールの大きな役者になったものである。
泰然自若という言葉がぴったりはまるような演技・存在感に圧倒されて、映画館を出るときには他の出演者の存在を忘れるほどであった。
そして『インファイナル・アフェア』。
潜入捜査官ものは香港映画では常套であるが、これは深くて凄い映画である。
アンディ・ラウもいいがトニー・レオンが素晴らしい。
ユンファもジェット・リーもいなくなった香港映画界だけど、トニー・レオンがいるうちはまだまだ大丈夫だ。

香港映画には韓国や中国の映画・ドラマにあるような民族臭が希薄である。
私はそれを好むのである。

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2005年8月27日 (土)

なんとも清楚であります

ngン・シンリンという女優さんがいる。
漢字で書くと「呉倩蓮」。
台湾生まれで1990年代までは主に香港映画を中心に活躍していたが、近年は中国・台湾のTVドラマが主になっているようである。

はじめてン・シンリンを見たのは『ゴッド・ギャンブラー完結編』であった。
レオン・カーファイ(梁家輝)の妹役でコミカルな一面を見せていたが、最後は不幸な死を遂げるというもの。
賭神(チョウ・ユンファ)に思いを寄せるン・シンリンの清楚な顔立ちは強く印象に残った。

同じくチョウ・ユンファとの共演作『フル・ブラッド』では超能力を持つ可憐な少女を演じていた。
この作品はハードなアクション・シーンを含むファンタジー映画である。
次第に心を通じ合わせる二人、悲しい別離があり、そして涙の再会。
見終わったあとになんだか温かい気持ちが心を満たしてくれる映画であった。

『アンディ・ラウの逃避行』はン・シンリンの映画デビュー作。
すぐに血まみれになってしまうチンピラのアンディ・ラウと財閥の一人娘役のン・シンリン。
身分の違う二人の恋の行方は....やっぱり悲しい結末を迎えるのであった。
バイクで逃避行するシーンが忘れられない。
どちらかと言えば濃い顔立ちのアンディ・ラウとあっさり系のン・シンリンの取り合わせもなかなか良かった。

で、数年後に同じ顔合わせでつくられたのが『アンディ・ラウ戦火の絆』。
ここではン・シンリンは田舎の娘みたいな役で登場する。
メークも村娘そのまんまという感じなのだが、これがまた良い。
駆け落ちの手紙も読めない(文盲なのだ)素朴で純真な娘と決死の任務を遂行する空軍兵士との純愛は胸を熱くさせる結末を迎えるのであった。
今回は前作とは身分の違いが逆転しているのだが、ン・シンリンにはこのほうが適役である。

今は亡きレスリー・チャン(張國榮)との大作メロドラマ『夜半歌聲 逢いたくて 逢えなくて』ではこれでもかと言うくらいに悲恋物語が繰り広げられる。
ここでもン・シンリンは由緒ある家の令嬢である。
運命のいたずらが二度、三度と恋人達を襲い、なんとも切なくやるせない結末は見ているものに重い衝撃を残す。
素晴らしい作品だと思うけど、何度も見るのは辛い。

その雰囲気のせいだろうが、ン・シンリンの映画にはハッピーエンドが少ない。
画面に彼女が出てくると、それだけで幸薄い感じが漂ってしまう。
個性の強い香港の女優たちのなかでは異色なかんじがするくらいに淡泊で地味な印象を与える。
でも、彼女の存在が相手役を引き立て、また彼女自身もその中で輝きを発するという貴重な女優さんなのである。

ちなみにン・シンリンは歌手としても数多くのアルバムをリリースしている。
私も聴いてみたけど、キャラクター同様に、くせのないきれいな歌声であった。
HMVでも買えるので興味ある人は御一聴されたし。

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2005年8月21日 (日)

スーナー・オア・レイター

steveスティーブ・マーティンも今年で60歳になってしまった。
この人とジーン・ワイルダーは大好きで、かつては出演作を繰り返し見たものである。
共通するのは2人とも普段の演技とキレたときの演技の差がすごい激しいこと。
特にスティーブ・マーティンは普通にしていると知的な紳士然としているのに、一旦スイッチが入ったときにみせるヒステリック且つクレイジーな表情がたまらなく良かった。

『2つの頭脳を持つ男』をビデオで見たのがスティーブ・マーティンとの出会いであった。
ついでだが原題は"The Man With Two Brains"だから邦題の『2つの頭脳を持つ男』は変である。(主人公が多重人格かと思うでしょ)
天才脳外科医であるハフハール博士を演じるマーティンのギャグがすごい個性的。
中途半端な位置で止まるエレベーターから何事もないような顔をして降りてくるシーンや、手のひらを吸盤代わりにしてビルの壁づたいに歩くシーンなど細かいギャグの連発は何度も繰り返し見る価値がある。
博士の悪妻を演じるキャスリーン・ターナーは当時人気絶頂であったと思うが(私はあまり好きじゃなかったけど)、このコメディでのオーバーな演技はなかなか感心させられた。
恋人である<脳>アーメルメヘイと一緒にボートで語り合う?マーティン......
この映画は日本では劇場未公開だったけど、日本のコメディアン(関根勤とか中村ゆうじとか)が結構ネタをパクっていたものである。

『四つ数えろ』はハンフリー・ボガート主演のハードボイルド『三つ数えろ』のパロディ。
全編モノクロであり、雰囲気ありありの展開は、途中に様々な過去の映画作品のシーンをコラージュしつつ(ハンフリー・ボガートやイングリット・バーグマンも出てくる!)アクの強いギャグを織り込みながらよどみなく流れていく。
カール・ライナー監督とスティーブ・マーティンのコンビはほんとうにベストマッチだと思う。
私が好きなのはマーティンが犬の糞を拾わされるシーン(^o^)

その後、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』でのサディスティックな歯医者の役や『サボテン・ブラザース』での陽気なギャグ、『ペテン師とサギ師』でのマイケル・ケインとの演技合戦等々は劇場でずいぶん楽しませて貰ったものである。
もちろん『大災難P.T.A.』みたいに相手役(ジョン・キャンディ)のせいでボロボロになった映画もあったけど。

『愛しのロクサーヌ』を劇場で観たときに、ちょっと不安になった。
なんだか普通の役者になってしまったようで....
それは『花嫁のパパ』で決定的になってしまった。
神経が痙攣するようなマーティン独特のギャグはすっかり影を潜めてしまったのだ。
1990年以降の作品はほとんど観る気が起こらなかった。
もはやスティーブ・マーティンの作品では私は笑えないのである。

近年、アカデミー賞の司会をするスティーブ・マーティンを見たときに何だか懐かしさと寂しさを感じた。
コメディアンの旬は東西を問わず短いものなんだな。

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2005年8月18日 (木)

You Angel You

virginieヴィルジニー・ルドワイヤンという難しい名前の女優を初めて観たのは『カップルズ』という台湾の作品であった。
ギラギラ感たっぷりのアジアの若者に混じって、ひときわ可憐さを発揮している彼女の存在感はこの映画からオリエンタルな香りを奪い、普遍的な愛の物語にしてしまった。

次に『La Ceremonie(沈黙の女)』で彼女に再会した。
この作品ではなんと言ってもサンドリーヌ・ボネールの演技が強烈過ぎて、ヴィルジニー・ルドワイヤンが霞んでしまったのが残念(?)。
作品自体はヒッチコックばりのサスペンス仕立てでなかなか楽しめたのではあるが...

ほんとうにこの女優がたいしたものだと思ったのが『シングル・ガール』を観たときである。
彼女のどこか少年っぽさを感じさせる表情がすばらしい。
恋人に自分が妊娠していることを告げるときの毅然とした態度、取り乱す恋人を見てもう頼りにはしないと割り切る潔さ。
女性であることを決して武器にすることなく、自らの強い意志で自立の道を歩み出すのが格好良いこと!
ホテルのルームサービスとして働くヴィルジニー・ルドワイヤンが白いシャツをパリッと着こなしているのが美しい。(ここら褒めっぱなし)
子犬のような表情、中性的であるが女の子らしい。
芯は強そうなんだけどギスギスしたところは全くなくて、清純さが白いシャツをより白く見せる。
19歳の少女が精一杯みせるつよがりが映画を観たものに気持ちよく伝わってくるのが良い。

『ジャンヌと素敵な男の子』はミュージカルっぽい作品。
恋多き少女を演じるのがヴィルジニー・ルドワイヤンで、彼氏のひとりがエイズに感染してしまい死んでしまうという内容である。
見るからにベタベタした恋愛なんてしなさそうな彼女だから、この主人公を演じても全然おかしくない。
少女は彼が自らエイズであることを知り、彼女の前から姿をくらましてはじめてほんとうの愛を知るというものだけど、実にドライな展開。
難病に倒れた彼を看病するでもなく、愛しているけどほったらかしという(事実、彼はひとりで死んでいくわけで)日本人には受け入れがたいシチュエーションかも。
こういうのがフランスっぽいんだなって思わないと。
お涙頂戴は個人主義とは相反するものなんだな。

ヴィルジニー・ルドワイヤンがハリウッドに進出したよ!って大喜びしたのが『ザ・ビーチ』であったのだが.....
観て唖然。ダメだよこんな役をやらせては。
彼女の強さはこういうかたちで見せるものではないのに、何もわかっちゃいないな。
アメコミのヒロインにするには繊細すぎることを制作側が理解していない。
所詮はアメリカの目で見たフランス女性ってこんなものなのかな。

というわけでファンを不安にさせた(?)のだが、『8人の女たち』の長女を演じる姿を見てホッとした。
大物女優ばかりが出演して賑やかな作品であったが、清楚なヴィルジニー・ルドワイヤンがそこにいた。
少女だと思っていたけど今年で彼女も29歳になる。
歌を歌ったり自身で監督をやったり知的で意欲あふれる活動をしているようだ。
どうかいつまでも素敵さを保っていてもらいたい。

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2005年8月17日 (水)

せみの鳴く日

077ドラマ<傷だらけの天使>の中で池部良さんが言うセリフ「『ペペ・ル・モコ』っていう映画があるだろう」というのが気になって高田馬場のパール座だったか飯田橋の佳作座だったかに『望郷(ペペ・ル・モコ)』を見に行ったのは高校1年のころであった。
モノクロの薄暗い画面の中で、ジャン・ギャバンの顔のツヤが何故か印象深くて、カスバの迷路のような町並みを生き生きと歩き回る姿が微笑ましかった。
何せ1937年の作品である。
ヒロインのミレーユ・バランもいかにも古き良きといった顔立ちであり、ペペが自らの命を捧げるまでに愛したことには感情移入しづらかった。
ただジャン・ギャバンの存在感は圧倒的で、決して美男子ではないが、その大きさと優しさ、強さ、男のもろさを存分に発揮していた。
有名なラストシーン、「ギャビー!」と叫び自らの命を絶つペペ。
汽笛を残しギャビーを乗せて出航していく客船。
その後、『大いなる幻影』『現金に手を出すな』『ヘッド・ライト』などのジャン・ギャバン出演作をあちこちの名画座で見たが、受ける印象はつねに大きなものであった。

ハンフリー・ボガートの『カサブランカ』は1942年の作品であるが、ボガートはこのとき43歳であった。(ジャン・ギャバンより5歳年上)
『カサブランカ』はアカデミー賞を取ったこともあって永遠の名作として何度もリバイバルされている。
イルザ役のイングリット・バーグマンは知的かつ清純な美しさだし、革命家のラズロ役のポール・ヘンリードはいかにもという感じの美男子だし.....
リックを演じるハンフリー・ボガートには当初ものすごい違和感を覚えたものである。
いくら何でも老けすぎだろう。
甘い中年ではなくいかついオッサンじゃないかって。
実はハンフリー・ボガートの格好良さがわかったのはその後『アフリカの女王』を見てからであった。
無精ひげを生やし、がさつな中年男が鶏ガラみたいなキャサリン・ヘップバーンと不器用にやり取りするのが妙に格好良くて。
そこからまた『カサブランカ』に戻ったら今度は素直にメロドラマの世界に入ることができた。
「君の瞳に乾杯」や「昨日?そんな昔のことは覚えていない」等々のセリフはあのいかついリックだからこそ似合うんだなって。
『マルタの鷹』『三つ数えろ』『キー・ラーゴ』等の出演作ではハードボイルドな〈ボギー〉の演技が見られる。
(そういえばスティーブ・マーティンの『四つ数えろ』というのもあったっけ。ハンフリー・ボガートも出演?していたな)

ジャン・ギャバンもハンフリー・ボガートも古き良き時代のタフな男たちだ。
どっしりとした大人の風格があり、安心感を与えてくれる。
いまの時代にはそんな大人は存在しない。
強そうなやつがへなちょこで、弱そうなやつはやっぱり弱いのさ。

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