2015中森明菜
中森明菜の「DIVA」に次のような一節がある。
「悲しみさえその力に変えていける take your way」作詞:Ryohei Matsufuji
このフレーズに聞き覚えがあると思って思い出したのは「原始、女は太陽だった」の一節。
「太陽が昇る 裸の胸に いま哀しみさえ生きる力に変えてく」作詞:及川眠子
この逆境からの再生というイメージは中森明菜本人に通ずるものがある。
しかしマイナスからプラスにもっていくためには想像以上の消耗を伴うのも事実である。
確かに彼女は失意の中から立ち上がるだろうが、喜びにとどまることがまた困難であろうことを誰しもが予想するのである。
「おいしい水」という歌がある。
「何も感じない女になれたら ときめきと引き換えて かまわない」作詞:Mariko Okabe
自分の繊細さゆえに辛く苦しい思いをするのである。
それが当たり前になっていることを嫌悪しているのだろうが、そこから抜け出せるわけではない。
何も感じない女になんてなれっこないことは本人がいちばん分かっている。
同様の状態は「赤い花」においてよりいっそう過激な願望となる
「あたしをいっそ切り裂いて 何も感じないほどの 傷をつけて去って行ってよ」作詞:川江美奈子
そう、彼は何もせずに去って行った。
そしてそのことは彼女の心により深い晦渋をもたらす結果となった。
中森明菜にはこうしたHeart Breakな内容の歌がとても多い。
もちろん作詞家にとってHappyな出来事よりもそうでないほうが詩になりやすいということは差し引いても‥
弱さを見せないためにはどうすれば良いか。
虚勢をはるというのとはまた別なのだろうが、ある種の演技が必要になるだろう。
「Trust Me」の歌詞にこんな部分がある
「だけど少しは冷たいふりをしないと私らしくない」作詞:夏野芹子
私らしさとは何だろうか。
「嘘つき」にも次のような歌詞がある。
「何度も確かめてる 鏡に映してみる 私らしさを纏うための術」作詞:川江美奈子
この歌ではそんな自分の本当の姿を相手にわかって欲しいという願いが歌われている。
セルフイメージは自分自身で作り上げたものなのだ。
「Crazy Love」の歌詞にもあるように。
「Crazy Love つまずいて Crazy Love 立ち上がり
Crazy Love またひとつ Crazy Love 手に入れる
私だけのカラー 自分自身の人生」作詞:遠藤幸三、Miran:Miran
人間は泳いだり走ったりできても飛ぶことはできない。
昔から「飛翔」に対する憧れは人類共通の物であり、ダヴィンチの考案した飛行器具類やブランクーシの一連の飛翔する彫刻たち、さらには天使の持つ翼もみんな憧れから生み出された物である。
中森明菜の楽曲の歌詞にもしばしば飛翔への思いや憧れが歌われている。
Love Is The Mystery
翼ひろげて
光る海を 越えるわ
すこし不安よ
「北ウィング」作詞:康 珍化
赤い鳥が逃げた Fly Away
愛のカゴをあけて 空へと
赤い鳥が逃げた Fly Away
銀の涙 翼ぬらして
赤い鳥が逃げた
いつかふたりで見る 夢をさがして
「赤い鳥逃げた」作詞:康 珍化
翼を広げて 火の鳥が行くわ
地の果ては 何処までか 答えてはくれないの
「SAND BEIGE -砂漠へ-」作詞:許 瑛子
そうよ Save You, Save Me
鳥のように
もいちど 空
飛べそな メロディーだね
「La Boheme (ラ・ボエーム)」作詞:湯川 れい子
折れた翼 広げたまま
あなたの上に 落ちて行きたい
「難破船」作詞:加藤 登紀子
だけど私は鳥よ
生まれ変わる前はきっと
La Liberte
この背中 証しがあるわ
Ma Liberte
わかるでしょ? ふたつのほくろ 翼のように
「La Liberte」作詞:森 由里子
あなたの背骨に Kiss してあげたい
翼のもがれた傷跡みたい
昔むかし産まれた時はみんな天使だったのに
独りぼっちで生きていくうちいつか飛べなくなるわ
「無垢」作詞:田久保 真見
折れた翼 もとに戻せるなら
二人の夢も また変わるのに
「帰省~NEVER FORGET~」作詞:atsuko、鈴 康寛
1984年から1998年までの楽曲だが、何人もの作詞家たちが翼や鳥について、また飛翔のイメージを描き出している。
とりわけ「難破船」と「帰省」に歌われている「折れた翼」は飛翔の持つ危うさをあらわす重要なキーワードだと考える。
あるいは飛びたくともかなわない無力さのあらわれでもあるのだ。
大気圏外に飛び出すロケットならいざしらず、翼や羽を持つ鳥や昆虫たちは飛び続けるわけにはいかない。
いつかは自分の足の着く場所で休息しなければならないのだ。
つまり飛翔とはAからBに移動する手段に過ぎない。
それでも人が飛ぶことを願うのは、地面(という現実)からどれだけ離れられるかということへの思いが強いからなのだろう。
乾いてた 砂漠走り抜けて
潤った 翼広げる場所へ
GET ANYPLACE...HOWEVER
羽広げて
GET ANYPLACE...HOWEVER
見下ろせたら
「I hope so」作詞:中森明菜
Flight …… ひらく扉
Tonight …… 翼みたい
ふたり Fly! Fly! Fly! 飛び立つの Sky!
I don't care 自由な空へ
「Crazy Love」作詞:遠藤幸三、Miran:Miran(中森明菜)
この2曲は中森明菜が作詞に関わっている楽曲だが、本人も飛ぶイメージを好んでいるように思われる。
そしてその思いがポジティブなものであることも伝わってくるのでうれしく思う。
『DIVA』についてまた書く。
最初聴いたときにこのアルバムのすごさがピンとこなかったことは前に書いたが、これは全くもって私の勉強不足によるものである。
時系列的に中森明菜を追いかけていれば、ここに至る経緯が必然であったことは自明なのだが、そうしなかったことに誤りがあった。
とくにほとんどの曲の和英ミックスの歌詞の絶妙さが分かるまでは、何回聞きこんだことだろう…
まあそれは置いといて、各曲について簡単に書いてみる。
オープニングの『GIVE TAKE』の低いヴォーカルから入る凄み。かすれ気味のサビの格好良さはどう言えばいいのだろうか。
キャッチーなメロディだけど、この声が伝える静かな炎のような感情が何かただならぬものの始まりを告げている。
タイトル曲の『DIVA』は明菜ならではの囁きとシャウトのコントラストが見事な楽曲だ。アルバムヴァージョンは凝縮されて短いものだが、1曲目からの流れではこれが正解なのだろう。
なお、シングルヴァージョンでは1分ほど長く、アルバム初回限定盤のボーナスディスクに収録されたmichitomo remixヴァージョンでは7分以上の長さで展開されている。
それぞれ聴き応えがあり、どれがベストか甲乙つけがたいが、結局すべてのヴァージョンを聴くのが最良かもしれない。
3曲目におかれた『thinking of you』は一瞬『VAMP』を彷彿とさせるミディアムテンポの楽曲。
懐かしい明菜の声がここでは聴かれ、息詰まる展開のアルバム中では最初のオアシスのようだ。
4曲目の『REVERSE』はタイトル通りコーラスを伴ったフレーズが繰り返し歌われる。3曲目が部屋の中を思わせるのに対して、雑踏の中に足を踏み入れたような攻撃性を感じる楽曲。
5曲目にはじめて全部日本語詞の『逢えなくて』が置かれている。『あの夏の日』を思い出させるしみじみとした歌唱。
洋から和へと、中森明菜の世界は果てしなく広いことに気づかされる曲。
6曲目は一転してハードなブギーの『X lady』。なんていっても明菜の余裕あるヴォーカルが格好いいこと。
T Rexっぽい楽曲だがアレンジも良くて、この曲をステージで歌う明菜を想像するだけでも血が騒ぐものだ。
7曲目の『HEARTBREAK』はこのアルバムではいちばん一般受けしそうな楽曲で、かといって古くささはなく、何故シングルがこちらじゃなかったのかとも思わせる。
おそらく中森明菜の新しい面を打ち出すにはスケールが常識の範囲にとどまっていることがシングルを『DIVA』に譲った一因だろうと…
しかしながら名曲であることに間違いはなく、別歌詞同曲の『Heartache』、さらにそのremixヴァージョンの3曲は素晴らしい。
8曲目の『with』はうねるようなバックの演奏も、明菜のヴォーカルも、そのグルーヴ感ではアルバム随一かもしれない。
こういう曲を聴いていると、中森明菜はほんとうに上手いシンガーであることが実感できる。
9曲目は情感あふれるサビが印象的な『茜色の風』。とても温かい気持ちにさせてくれる歌声。
ロマンティックな曲を歌うと明菜はいつでも少女のようだな。
エンディングに相応しいしっとりとした『Going home』でアルバムは終わる。
ここでも情感に流されることなく、しっかりとした歌声が聴かれる。
全十曲、トータル時間は38分という今どきのCDには珍しい短さだが、これだけの濃い内容だけに充実度はハンパではない。
3分あまりの楽曲にこめられた明菜の意気込みがビシビシと伝わってくる。
聴くほどにさまざまな発見があるのが中森明菜のアルバムであるが、『DIVA』はその最たるものだろう。
中森明菜」が彼女の本名であることは誰でも知っている。
しかしこのことがどれだけ大変なことなのかを想像することは難しい。
彼女はステージでも、ステージを離れたプライベートでも中森明菜である。
もちろん、観客の前で、TVカメラの前で、きれいにメイクアップされた姿と、仕事を終えて素に戻った彼女の姿は違っているのだけれど。
だから中森明菜の写真集『MY LIFE』には素のままの彼女が写っているけど、これもTVやステージで知ってる彼女と同じ中森明菜であり、どちらも実像なのだ。
何枚ものツアーライブがDVDで発売されていて、ステージ前や幕間、ステージ後の映像には明らかにステージとは違った一面がうかがえるのだが、これも全部含めての中森明菜なんですよということかもしれない。
歌を歌う限り、彼女は中森明菜自身であり、それはどんな歌を歌っていても変えられない。そうして30年。
かつてアレン・ギンズバーグがディランの歌に「こんなに人間が自分を赤裸々にさらけ出したことがあったのだろうか」といった趣旨の文を寄せていたが、当のディランだってロバート・アレン・ジンママンという人間が演じていることを思うと、中森明菜の歌は(全部がそうとは言わないが)さらに彼女自身をさらけ出したものになる。
だからCDなどを聴いていて、ふとした瞬間に生の明菜を感じることがある。
それは無意識のうちに聴き手を揺さぶったり、涙腺をゆるませたりするのだ。
同じく本名で通したアイドルに「山口百恵」がいるが、実質の活動は7年半という短さだ。
聡明な彼女は自分の道を真っ直ぐ歩き、芸能界のドアを閉めたのだった。
明菜はそうしなかった。いや、そうさせてもらえなかったのかもしれない。
「唄い続けてる限り 同じ道を歩いたあなたへ
このかすれた声消えるまで」『帰省』
PS.上記のギンズバーグがライナーノートを書いたのはディランのアルバム『DESIRE』であるのが何だか面白い。
昨年、中森明菜の素晴らしさを再確認して、iTunesで真っ先にDLしたのは『フォーク・ソング 2 ~歌姫哀翔歌~』と『DIVA』だった。
奇しくも2009年に連続リリースされたアルバムで、明菜の作品としては現時点において最も新しいものであった。
『フォーク・ソング 2 ~歌姫哀翔歌~』は聴いてすぐに気に入り、また、不安にもさせられたアルバムであるが、これはいずれまた書いてみたい。
もうひとつの『DIVA』だが、最初聴いたときはサッパリ分からなかった。
もちろん、ここに至るまでの90年代から2000年以降までの彼女のイバラの道(と、あえて書こう)を全く勉強していなかった私が至らなかったのだが。
その後、『DIVA』は初回盤のCDとシングルバージョンを購入して、聞きこんだ。
個々の楽曲についてはまだちゃんとしたことを書くまでに至っていないのだが、このアルバムを理解するのに『Femme Fatale』『VAMP』『DESTINATION』の3枚のアルバムが重要なポイントを占めたことは間違いない。
また別の意味では『不思議』『Cross My Palm』もその仲間に加えられるべきかもしれない。
とりあえず今いえることは『DIVA』が中森明菜にとって過去の作品の(全部とは言わないが)集大成であり、同時にこれからのスタートを切るにふさわしい作品であるということである。
※暮れから体調を壊しているので、もう少し聞きこんでから、またこのアルバムについて書いてみたい。
フォルクローレ風の前奏に続いて乾いたギターの調べが奏でられる。
そして明菜の歌が始まる。
「ひとりきり すくいあげる 指のあいだ こぼれてゆく日々
あのひとが 残したのは 光りさえも 呑み込む砂漠よ」
乾ききった情景が切々と、しかし感情を押し殺して歌われていく。
『赤い花』は2004年5月にシングルリリースされた。
同年7月にリリースされた『初めて出逢った日のように』(オリジナルはパク・ヨンハ)と歌詞が異なる姉妹曲である。
もちろん曲は同じなので、どちらも良いできばえの楽曲なのだが、聴後の衝撃度は圧倒的に『赤い花』のほうが大きい。
これは両曲のアレンジ、歌詞の違いもさることながら、明菜の歌唱法の違いによるところがいちばんの要因である。
『初めて出逢った日のように』は男の視点でじっくりと歌われている(詞は松井五郎)のだが、それとは逆に『赤い花』は不幸な女の歌である(詞は川江美奈子)。
そしてこうしたシチュエーションを歌わせると中森明菜以上にうまい歌手を思い出すことは難しい。
淡々とした乾いた歌唱は、しかし、サビの部分で炎を燃やす。
「今はお願い おしえないで すべてを捨てて行ける理由を
遠く輝いた 愛までも 嘘と言わないで
最後の涙が落ちたなら 二度とあなたが見えないように
歩き続けるの どこまでも 錆びた景色の中を」
かすれた声のシャウトが染みる。儚いけれど痛みを伴う歌だ。
80年代終わり頃の明菜の声ではこの歌を歌うことはできても、聞き手に伝えることは難しかっただろう。
この楽曲での歌唱は21世紀にはいってからの中森明菜の作品では間違いなくベストに入れるべきものだと思う。
2005年発売のDVD『Akina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eX』
に収録されたヴァージョンでは楽曲と一体になった明菜の歌う姿に震撼させられる。
ここではもはや聴衆がいることすら忘れたように歌を吐き出すひとりの女性が映し出されているのだ。
『DESTINATION』は2006年にユニバーサルシグマからリリースされた。
前作『I hope so』から3年ぶりのオリジナルアルバムで、中森明菜本人も「嫌いな曲は1曲もない」と言っていた力作である。
このアルバムを特徴づけているのは打ち込み主体のダンスナンバーで、『GAME』『花よ踊れ』の2曲に特に顕著なカーニバル的ともいえる華やかなイメージは2000年代になって聞かれなかったものである。
明菜のヴォーカルもメリハリのきいたもので、いかにも楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
オープニングの『紅夜』、『Seashore』『鼓動』『夜の華』は全てベースライン主体の楽曲で、明菜の低音のヴォーカルと呼応して魅力的だ。
どちらかというと同じようなタイプになりがちなこの4曲をニュアンスを変えながら歌い分ける明菜の技術は素晴らしいと思う。
個人的に2曲目の『嘘つき』がベストだと思うのだが、ここではがらりとスタイルを変えて囁くような明菜の歌い方が、過去の作品で様々な実験を試みてきたのだろうが、その完成型を見たように思える。
うっかりするとダンサブルな楽曲に埋もれてしまいそうに儚い存在だけど、歌詞の一句ごとに微妙な色づけをなされて歌われるこの曲の魅力は計り知れない。
さらにもう1曲、囁きの歌が『眠れる森の蝶』であるが、楽曲に不釣り合いなほど長大な歌詞をガラス玉を転がすように歌う明菜のヴォーカルが美しい。
それでいて所々にハッとさせられる瞬間があるのがこの歌の聞きどころだ。
9曲目の『LOVE GATE』はパンチの効いたヴォーカルが聞かれる。
ここでもかすれ気味な明菜の低音がソウルフルでいい。
もしCDでなかったらこれをラストにしてよかったんじゃないかと思うのだが…
確かBOB DYLANも言っていたと思うのだが、CDになっていちばんの弊害はアルバムの収録時間が不自然に長くなったことで、結果として埋めていく楽曲全部ひっくるめたアルバムのカラーが曖昧になってしまう。
『DESTINATION』という傑作アルバムでも、ラスト3曲でほんの少しアルバムのカラーが変化しているように思える。
10曲目はシングルカットされた『落花流水』で、よくできた歌であることに異存は無いのだが、私にはかつての『AL-MAUJ』に通ずる違和感を覚えさせる。
松本隆の詞の世界にやや引きずられ気味のアレンジがそう感じさせるのかもしれないが。
続く『Only you』でソウルフルな路線に軌道修正するも、ラストの『Grase Rain』の濃厚なブルース感はむしろ次作のアルバム『DIVA』を予告するような楽曲に仕上がっている。
これも単独では絶品の曲で、ヴォーカリストとしての中森明菜の魅力爆発(特に低音域)といってもよいのだが。
ともあれ、収録された楽曲がどれも非常な完成度をもっており、現在の中森明菜のベストの歌唱が堪能できるという点では最高のアルバムに違いない。
これを聴いてもまだ「昔の明菜のほうが良かった」という人がいたら、そういう人とはサヨウナラと言うしかないな。
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