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2013年1月28日 (月)

In real life

中森明菜」が彼女の本名であることは誰でも知っている。

しかしこのことがどれだけ大変なことなのかを想像することは難しい。

彼女はステージでも、ステージを離れたプライベートでも中森明菜である。

もちろん、観客の前で、TVカメラの前で、きれいにメイクアップされた姿と、仕事を終えて素に戻った彼女の姿は違っているのだけれど。

だから中森明菜の写真集『MY LIFE』には素のままの彼女が写っているけど、これもTVやステージで知ってる彼女と同じ中森明菜であり、どちらも実像なのだ。

何枚ものツアーライブがDVDで発売されていて、ステージ前や幕間、ステージ後の映像には明らかにステージとは違った一面がうかがえるのだが、これも全部含めての中森明菜なんですよということかもしれない。

歌を歌う限り、彼女は中森明菜自身であり、それはどんな歌を歌っていても変えられない。そうして30年。

かつてアレン・ギンズバーグがディランの歌に「こんなに人間が自分を赤裸々にさらけ出したことがあったのだろうか」といった趣旨の文を寄せていたが、当のディランだってロバート・アレン・ジンママンという人間が演じていることを思うと、中森明菜の歌は(全部がそうとは言わないが)さらに彼女自身をさらけ出したものになる。

だからCDなどを聴いていて、ふとした瞬間に生の明菜を感じることがある。

それは無意識のうちに聴き手を揺さぶったり、涙腺をゆるませたりするのだ。

同じく本名で通したアイドルに「山口百恵」がいるが、実質の活動は7年半という短さだ。

聡明な彼女は自分の道を真っ直ぐ歩き、芸能界のドアを閉めたのだった。

明菜はそうしなかった。いや、そうさせてもらえなかったのかもしれない。

「唄い続けてる限り 同じ道を歩いたあなたへ

              このかすれた声消えるまで」『帰省』

PS.上記のギンズバーグがライナーノートを書いたのはディランのアルバム『DESIRE』であるのが何だか面白い。

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