歌を伝えるということ
中森明菜の歌唱は独特だ。
amazonなどで彼女のCDレビューを見ると、歌唱力がすごいという人もいれば、反対の意見の人もいる。
とくに『歌姫』シリーズなどのカバーアルバムでは、評価が割れているようだ。
これはオリジナルに思い入れが強いかどうかに関わるのだろうが、明菜自身はあまりオリジナルの歌い方を意識することなく、あくまでもその楽曲自体を聞き手に伝えること優先の表現方法をとっているようだ。
楽曲を聞き手に伝えるとはどういうことであるか。
たとえば明菜が松任谷由実のカバーをした2曲がある。
『歌姫』に収録された『魔法の鏡』と『フォークソング2~歌姫哀翔歌~』に収録された『ベルベット・イースター』だが、ここには何とも言えない「親密さ」があふれている。
まるで暖かいスープのように聞き手の身体に優しく浸透してくる歌唱に癒される。
また、『歌姫』収録の奥村チヨのカバー曲『終着駅』でも、サビを不必要に強調することなく淡々と歌う中に寂しき情感を醸し出しているのが見事だ。
中森明菜ならではの「囁き」は時として歌詞の聴き取りづらさにつながるが、これこそ本人の意図するところであることを聞き手は汲まなくてはならない。
大声で囁く人などいないのだ。楽曲がそういう要求をしているのだから。
かつて『不思議』(1987年)というアルバムで極端にヴォーカルパートの引っ込んだミキシングにより聞き手を不安な気持ちにさせた明菜であるが、このアルバムが初のセルフプロデュース作品であることに注目したい。
そう、歌もまた楽曲を構成する一部に過ぎないことを何よりも本人が理解しているのである、
どんな曲でもたっぷりとした声量とツヤのある声で朗々と歌いこなす歌手がいる。
まるで触るもの全てが金に変わってしまう童話の主人公のように。
中森明菜はそうではない。
彼女は冷たいものに触れれば寒さと不安に震えるし、熱いものには汗を流しながら近づこうとしたり、立ち去ろうともする。
聞き手は楽曲の中にそのときどきの中森明菜を感じ取らなくてはならない。
それはスタンダードなものとは少し離れているかもしれないが、理解することができればずっと価値の有るものだと思う。
続く
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コメント
じゃきさんしばらくぶりですね(・ω・)
それはそれで良いけれども、明菜さん自身がプロデュースしたアルバムだと、選曲・曲順・アレンジ、さらにはジャケットデザイン等々のトータルで評価してあげたいものです。
だからCDとか買っちゃうんですね(廃盤もあるけど…)
投稿: ザジ | 2012年12月25日 (火) 20時57分
前にコメントしたのは2009年でしたね。
さて明菜さんの歌、買ってないけど聞き続けている悪いファンです。
続き楽しみにしてます。
投稿: じゃき | 2012年12月25日 (火) 11時37分