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2011年12月11日 (日)

2011年

12月も半ばになった。
さっぱり良くなかった寅年を終えて、今年はちょっとでも飛躍の卯年になるといいなと思っていたのだが・・

年明け早々に銀行からの電話で驚かされた。
当座が不足しているとのこと。
年末に経理から何も聞かされていなかったので、慌てて定期を解約して入金した。
これがケチのつき始めだったのかもしれない。
正月休みを終えて仕事場に戻ると、経理が来ていないので連絡を取るも不在。
その後も出社して来る様子もなく、仕方が無いので健康面に不安をもつ家内が経理をやるはめになった。
経理をやっていた男は気が弱く、おそらくは年始の当座不足に気づいて逃げたのだろう。
何とも情けなく無責任な話だ。

年明けの仕事はそれでも比較的に順調で、2月には使えないパートを解雇して、以前のアシスタントの女の子(結婚して退社していた)に復帰してもらった。
これで何とかやっていけるというメドが立った。
そこにあの地震が起こった。

仕事場では商品棚が傾いた程度で、被害はなかったけど、その後の仕事はひどいものだった。
開店休業状態が何日も続き、売り上げは激減。
アパレル関連も東北方面の縫製工場が壊滅的な被害を受けて生産がストップしていた。
3月中旬から5月いっぱいは赤字続きで、このままでは仕事が続けられなくなると予測された。
せっかく来てもらったアシスタントの女の子と経理の補助のパートには5月で辞めてもらうことした。
最低限の人数でどこまでやれるか。
これでダメなら会社をたたむしかない。

6月に入ると反動が来た。
東北中心に全国的な品不足になっていたのだ。
安価なもの中心だが注文が沢山来るようになった。
少人数でガンガン働いた。
家内の経理の仕事が追いつかず、毎日自宅に持ち帰って片付けるのが当たり前になった。
夏場を乗り切って、秋になっても売り上げは落ちなかった。
正直、身体的にキツイので増員も考えたが、震災後の状況を知ってるだけに、このペースがいつまで続くのかが不安で、このままで行くしかなかった。

震災によってそれぞれのアイデンティティが脆くなった。
そんな時には色んなことをやれるわけもなく、とりあえずはメインの仕事に注力するしかなかった。
私の知り合いでも、カメラマンは写真を撮り、ミュージシャンは演奏するしかなかった。
私は仕事をやっていくしかなかった。
1日の9割は仕事で、あとは睡眠の日々を送った。
当然、昨年までのように写真を撮ったり、ライブに行ったりする時間は激減した。
これは非常な苦痛でもあった。
私は心身ともに疲労していた。

そう、今年の5月には敬愛する年長の友人を失った。
どんどん自分の好きだった人がいなくなってしまうんだな。
心が折れそうな時が何度もあった。
自分は強いのか弱いのか分からなくなっていた。
何も発信するものが無かった。

「・・・た」と過去形で書いたのは、ある程度踏ん切りがついたからだ。
あと数週間で今年は終わるが、何かを発信したい。
大きなことは出来ないかもしれないが。
Omeo


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