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2007年10月20日 (土)

狂い咲き2007

日比谷野外音楽堂で岡林信康を聴いた。
岡林の前回の野音は36年前の7月28日、黒田征太郎のポスターで知られる「狂い咲き」のライブであった。
デビュー以来4年間で作った歌を順番に歌っていくというライブは3枚組のLPとなってURCから発売された。
決して完璧な演奏ではなかったが、時代の空気が閉じ込められていたそのLPは擦り切れるまで聴き込んだものだ。

そして再び野音で「狂い咲き」を演ると聞いて、すぐさまチケットを入手した。
岡林が都心でライブをやる時はできるだけ行くようにしていたが、ここ数年は近郊の小ホールが中心だったから、久々に生で聴くわけである。
1990年に「ベアナックルミュージック」を発表して以来、エンヤトットのリズムを追求している岡林は今回のライブにも「御歌囃子信康」と書いているように和楽器主体のバックバンドを従えて歌うという。
当然、前回の野音のように過去の曲を全曲歌うというスタイルはとれっこない。
何せ前回はデビュー4年目だったが、今回は40年目になるのだ。

17時の開演前に開場をほぼ埋めたのは、私よりもやや年配の観客たちであった。
若い観客も少数ではあるが来ていたのが少しうれしかった。
時間が来て、バンドメンバーを従えて革のジャケットを着た岡林がステージに現れた。
どことなく「ラスト・ワルツ」の時のディランを彷彿とさせる登場だった。
メンバーは平野融(マンドリン、ギター他)、吉田豊(パーカッション)、佐藤英史(尺八、笛)、美鵬成る駒(和太鼓、コーラス)、高橋希脩(津軽三味線、コーラス)という最近はお馴染みの面々である。

第1部はバンドスタイルでエンヤトットを披露した。
当初はギターと打楽器で始まったエンヤトットだったが、近年は笛、三味線が入りお囃子色を強めている。
私自身は初期のエンヤトットのリズム感を前面に打ち出したスタイルのほうが好みであるが、岡林はそれを進化させた形が今のスタイルであると言っている。
より和風テイストになり、音色が華やかになっているのは確かである。
会場の半数の観客は戸惑っている様子であった。
おそらく近年の岡林を知らずに、野音のライブということでやって来た人たちなのだろう。
巧みでユーモア溢れるMCを交えて、ともかくは会場に手拍子が鳴り響くところまでは持っていった。
還暦を過ぎたとは思えないツヤのある岡林の声が野音に心地良く響いた。

休憩をはさんで第2部は生ギターによる弾き語りで、バックは平野融のギターだけである。
最初の曲は「山辺に向かいて」。
そしてボサノバ調にアレンジされた「山谷ブルース」をはさんで「チューリップのアップリケ」。
不覚にも涙腺がゆるんできて頬に涙が流れてしまう。
岡林は過去に影響を受けたアーティストのことを語りだし、ディランの名前を挙げた。
そう、ディラン同様に岡林もまた様々な音楽スタイルを変遷してきたのだ。
そして次に「今日をこえて」が歌われた。
-くよくよするのは もうやめさ 今日はきのうをこえている-
生ギターで歌われるこの歌はまぎれもないロックだ。
岡林流のディランへのオマージュ。
さらに「自由への長い旅」が歌われて、また涙が出てしまった。
生でこの曲を聴くのは何十年ぶりなんだろうか。
ひょっとしたら近年のライブでも歌われたのかもしれないが、野音という場所で聴いたから感慨ひとしおだったのかもしれない。
-わたしがもう一度 わたしになるために 育ててくれた世界に 別れを告げて旅立つ-

その後アコースティックで数曲の後、バックが加わりエンヤトットで盛り上げてライブは終わった。
面白かったのは年配者よりも若い観客のほうがエンヤトットに素直に乗って居たことであった。
津軽三味線の音にノリノリになっている彼等のほうがノスタルジーに浸っている者よりも正しい聴き方なのだろう。
休憩時間に見かけた若い女の子などはソーラン節を口ずさんでいたりしたっけ。
本来なら私もそういう聴き方をすべきなのだろうが、岡林の場合は特別なんだ。
残念ながら。

Kuruizaki

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