« しりかん(Silly Conversation)5 | トップページ | 好事苑(G3篇) »

2007年3月 8日 (木)

Hearing something

耳にはちょっと自信がある。
といっても耳の格好が良くて「耳タレ」が務まるとか、耳が異常にでかくて空を飛べるとかいうことではない。(そんな人はいない)
あるいは2キロ先で木の葉が落ちる音を聞くことができるわけでも勿論ない。

仕事場で電話をしていると、受話器を通して相手の周りのだいたいの様子が分かる。
携帯電話は音質が悪いのでちょっと心許ないが、普通の電話回線であれば、どのくらいの広さのところで、周りに何人くらいいるかぐらいは感知できるのだ。
まあ、空間を把握するためには視覚・聴覚・皮膚感覚がそれぞれ機能するわけだが、中でも聴覚が占める部分は大きい。
試しに、両耳を手で押さえると、いっぺんに周囲の雰囲気が変わることが分かる。
とんでもなく密閉された場所にいるように感じることだろう。

何を聴き取ることができるかという能力には、明らかに個人差があるわけで、例えばステージで床のきしむ音が気になって仕方がないという人もいるし、そんな音はさっぱり聞こえなかったという人もいる。
時計が秒針を刻むカチカチ音が気になって眠れないときもあれば、目覚まし時計がけたたましくなっているのに全然聞こえなかったということだってある。
常人が聞き取れない音を感知できた人のひとりにベラ・バルトークという作曲家がいた。
以下はバルトークがアメリカに亡命した当時の親友であるアガサ・ファセットの書いた『The Naked Fase of Genius』からの要約である。

ファセットの好意で、彼女の田舎の別荘にバルトーク夫妻が来ると、その夜、彼女が大切にしていた猫が姿を消してしまった。
「こんな人気もないところで、それに危険がいっぱいなのに、猫一匹どこに探しにいったらいいか、わかりっこないわ」ディッタは落胆していった。
真夜中ごろ、ディッタが起こしに来た。
「ベラが、猫の鳴き声を聞いたって言うの。あっちかららしいんですって」と彼女は深い森のほうを指した。私たちは窓をあけ耳を澄ませた。しかし夜の静寂からは猫の声は聞こえなかった。
それでも彼女らは女中を入れて、三人で出かけてゆく。ディッタは、バルトークが聞いたという以上、まちがいはないと信じきっているので。急いで野原を突っ切り、暗闇が一直線になって森の入り口を示しているその外れで一休みした。しかしいくら耳をそばだててみても何も聞こえない。
家に入ると、バルトークが階上から呼んでいるのが聞こえた。
「森の入り口までいったけれど、何も聞こえませんのよ」とディッタが報告した。
「そうだろうよ」バルトークは言った。「あんた方には聴くのも聞こえるのも同じことなんだから。耳の不自由な人間が三人もそろって暗い森をさまようなんて、何て頼りない救助隊だろう」
私たちはまだドアの前でうろうろしていたが、私としてはバルトークの中で起こった変化のことばっかり考えていた。今朝はまるでデスマスクみたいだった顔が、今は生き生きと内面から輝きわたっているのだ。
「あんた方の耳はみんなおかしいっていったんだ。そら、あれが聞こえないのかい?」
私たちはできるだけ耳をすませてみたが、首を左右に振るばかりだった。
「今でも私には聞こえてる。一度鳴くたびに、休息が要るように、規則正しく間を置いて聞こえるよ」
「どうしたらよいかしら?」
「そう、耳の不自由な者同士で案内するもしないもないはずだから、私が起きて案内してあげなければならないだろうね」
「あなたが御自分でしなくちゃだめ?」
「ほかに仕様がないじゃないか。あの猫が死んだりしたら、一生私の良心の重荷になるんだ」
こうして、今度は彼を先頭にして、みんなは真っ暗闇の野原を森に向かって進む・・・
今度こそ、私たちも確かに聞いた。鋭い風のかすかなトレモロほどの、音ともいえない音で、彼が力説しなければ、とても気がつかなかったろう。
バルトークは歩きやすい道をさけて、暗い木の闇の中に見えなくなった。
「こっちだ」自信ありげな呼び声だった。声は深く澄んでいた。私たちはそちらに急いだ。
「ずいぶん近い。この木のどこかにいるはずだ」彼は高い楓の下にいた。
激しい興奮にかられて、私たちは懐中電灯ですかしてみた。光は枝の繁みの間をはいまわったのち、不意に葉を通して向こう側にいるルル(猫の名)をとらえた・・
「ルルは自分にふさわしい獲物をつかまえたんだ。巣ごもりの鳥を探していたにきまってる」
「そんなことありませんわ。今まで鳥を獲ったことなんか一度もありませんもの」私は抗弁した。
「じゃ、眺めを楽しむため、こんな危険な綱渡りをしたっていうのかい?この次は、孤高を求めていたんだって、私を説得するつもりなんだろう。同情はしたいが、信じられない。これは自然に繰りかえされる行動のパターンと同じなんだ。何千年もかかって飼い慣らされたものだって、獲物を追うことをあきらめられないんだ。人間と同じで、彼は全てを手に入れたいのさ」
「ルルがもう死んでしまったみたいな言い方はよして頂戴な」とディッタが口をはさんだ。
「それはそうだ。しかし、この経験でルルが少しでも賢くなるなんて考えられないね」

(訳:吉田秀和氏)

Bartok

|

« しりかん(Silly Conversation)5 | トップページ | 好事苑(G3篇) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« しりかん(Silly Conversation)5 | トップページ | 好事苑(G3篇) »