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2006年11月 8日 (水)

Testimony

『ショスタコーヴィチの証言』はスターリンの時代に政治によって厳しい弾圧を受けながらも芸術家としての生涯をまっとうした人間の赤裸々な叫びの書である。
そこには政治・宗教の複雑に絡み合った近代ロシアの実情が透明な水晶玉のように浮き出されているのであった。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチはその生涯に15曲の交響曲と15曲の弦楽四重奏曲、その他協奏曲やオペラ等の数多くの作品を作曲した。
とりわけその交響曲はグスタフ・マーラーの影響も見られ(特に初期の作品)極めて骨太の構成感によって支えたれた楽曲は「最後の交響曲作家」としての名にふさわしいものである。
晩年の交響曲第14番『死者の歌』ではガルシア・ロルカやギョーム・アポリネール等の死をテーマとする詩をソプラノとバスの独唱が歌う11楽章の曲で、マーラーの『大地の歌』やシェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』を彷彿とさせる交響曲と交声曲の中間を行くような作品である。
生涯に宗教曲を作曲することがなかったショスタコーヴィチであるが、この曲や最後の弦楽四重奏曲などは深い精神性と宗教性を感じさせる。

『証言』の中で私が好きなエピソードは彼の旧友であるソレルチンスキイについて書かれたものである。

「ソレルチンスキイはきわめて勤勉な人だった。二十カ国以上の外国語を知っており、そのうえ、何十という方言も知っていた。どんな詮索好きな者にも読解できないように、古代ポルトガル語で日記を付けていた」
「なにかに興味を持つと、それを一瞬のうちに記憶し、永久に忘れないのである。サンスクリット語で書かれたページをひと目見ただけで、彼はそれをすっかり暗唱できるのであった」
「あるとき、ソレルチンスキイの講演のあと、プーシキンの妻がニコライ二世の愛人であったというのは本当か、という質問があった。ソレルチンスキイは間髪を入れず、『もしもプーシキンの妻、ナターシャ・ニコラーエヴナが実際に死んだと年よりも八年だけ長生きし、ニコライ二世が三歳のときに性交能力があったとしたなら、それならば、あなたのご質問の生じる余地もあったでしょう』と答えた。私は家に帰るなり、ソレルチンスキイが年代を間違えなかったかどうかをわざわざ調べてみた。いや、何も間違いはなかった。すべてがまったく精確であった。ソレルチンスキイの記憶力は驚嘆すべきものだったが、それには沢山の数字も含まれていた」
「ソレルチンスキイが音楽院で講義をしていたときに、一人の学生が立ち上がって質問した『カラペチャンとはどんな人だったか教えていただけませんか?』ソレルチンスキイは考え込んだ。大事件であった。なんと答えたらよいか、彼が知らなかったのである。『つぎの講義のときまでに調べておきましょう』とソレルチンスキイは言った。つぎの講義のときに、ふたたび例の学生が立って、質問した。『カラペチャンとはどんな人だったか教えていただけませんか?』『わかりません』『カラペチャンというのは私です』と学生が言った。教室中がどっと沸き返った。『ああ、いま、カラペチャンが何者であるかがわかりましたよ。彼はばかです』とソレルチンスキイは受け流した」

(ソロモン・ヴォルコフ編 / 水野忠夫訳 )                                                          

こういう話を読むとすごいなと感心するばかりである。
ソレルチンスキイという人に非常な羨望と憧れを持つと同時に、こういう友人を持っていたショスタコーヴィチという人間に興味をもつことは自然であろう。

Shostakovich

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