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2006年10月 5日 (木)

And Still

1913年、ピエール・モントゥの指揮によってパリで初演された『春の祭典』は囂々たる野次と嘲笑、観客同士の乱闘等、大変な騒ぎを巻き起こした。
ロシアの作曲者イーゴリ・ストラヴィンスキーは時に31歳で、それまでの数年間に『春の祭典』同様のバレエ音楽である『火の鳥』や『ペトルーシュカ』を発表し、大きな成功を収めてきたのである。
ストラヴィンスキーの生涯において第一次大戦までの期間は、この3作のバレエ音楽によって代表され、《原詩主義時代》と称されている。
この時期に特徴的なのは大編成の管弦楽を使用し、激しいリズムを基調としていることである。
『火の鳥』においてはまだ調性音楽の範囲に留まっていたが、『春の祭典』に至ってはもはや従来の形式はバラバラに解体され、師であるリムスキー・コルサコフを大きく凌駕する管弦楽法と相まって革新的な音楽を作り出すことに成功した。
この新しさが旧態依然とした聴衆を激怒させる結果となったのである。

その翌年1914年に大戦が始まると、ストラヴィンスキーはスイスに移った。
すると彼はそれまでの大編成の管弦楽から極度に小さい規模の楽器使用に切り替えて作曲するようになった。
いわば室内楽的な規模のものであるが、その代表作たる1918年の『兵士の物語』はヴァイオリン/コントラバス/クラリネット/ファゴット/コルネット/トロンボーン/打楽器/語り(兵士、悪魔役も兼ねる)/パントマイムという奇抜な編成である。
これは自身の音楽がどこでも何度でも演奏される機会を増やそうという考えから生まれた形態であった。
音楽の内容は非常に軽いものであるが、その洗練度は極めて高い。
さらに1920年初演の『プルチネルラ』から第2次大戦までの期間において、ストラヴィンスキーはバロック音楽や古典派の音楽への回帰を示した。
いわゆる《新古典主義》の時代である。
1923年のカンタータ『結婚』、1930年の『詩編による交響曲』などの作品はいずれも少数の楽器編成で簡素な古典的精神に則ったものといえる。

1939年に第2次大戦が始まるとストラヴィンスキーはアメリカに移った。
57歳になった彼は、新しい土地で再婚し、模索的な作曲活動をはじめた。
かつてのバレエ音楽を新たに演奏会用に組み直したりしたが、もっぱら生活のためであった。
大戦が終わり、1940年代の終わり頃からストラヴィンスキーは新たに十二音音楽を勉強しはじめた。
かつては反目していたシェーンベルクの手法を自ら取り入れる方向に向かいだしたのである。
1958年の『エレミアの哀歌による「トレニ」』やディラン・トマスを悼んで作られた『挽歌』などにその成果が現れている。
これが《セリーの時代》と呼ばれる時期である。

89歳まで長生きしたストラヴィンスキーであるが、その生涯において最大の名声を得たのは初期のバレエ音楽を発表した時期であった。
しかしながら、その後数度のコペルニクス的転回ともいえる変遷には驚かされる。
人々は彼を称してカメレオンと呼ぶのもそうした変身ぶりから来ているのであろう。
最晩年にはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏に傾倒していたそうである。
わたしは乗り物を色々替えつつも、「作曲家」としての一本道を死ぬまで歩み続けたストラヴィンスキーはほんとうに偉大な芸術家だと思う。
70の手習いなんて道楽でもないかぎりはなかなかできるもんじゃない。

Stravinsky

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