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2006年4月10日 (月)

DAS LIED VON DER ERDE

Chinesische孟浩然の『春暁』という有名な漢詩がある。

春眠不覚暁 処処聞啼鳥
夜来風雨声 花落知多少

1行目の「春眠暁を覚えず」が朝寝坊の言い訳みたいに使われているこの漢詩であるが、高校生のときにこの漢詩を習った際に作者の孟浩然という名前におやっと反応してしまったことを思い出す。

小学校5年生のときにワルター指揮のマーラー『大地の歌』を買ってもらった。
(名盤の誉れ高い1952年の録音ではなく、1960年のニューヨークフィルとのステレオ盤でアルトはミラーが歌ったものであった)
これが私にとっての初めてのマーラーであった。
わくわくしながら針を落とすと出だしのホルンの強奏から圧倒された。
上昇と下降を繰り返す管弦楽にのってテノールが朗々と歌い出すのは「現世の悲嘆を歌う飲み歌」であり、原詩は李太白によるものであった。
バースごとに繰り返される「生は暗く、死もまた暗い」の歌詞には強い印象を受けたものである。

『大地の歌(DAS LIED VON DER ERDE)』はハンス・ベトゲによる漢詩の独訳集「シナの笛」に基づいて1908年に書き上げられたマーラーの"交響曲"である。
順番では本来は第9交響曲となるはずであったが、前年に医師から心臓に重大な欠陥があることを示唆され自らの死に対して過敏になっていたマーラーは、先達であるベートーヴェンやシューベルト、ブルックナー等が9曲の交響曲でその生涯を終えたことから敢えてこの曲を第9と名付けなかった。

曲は6つの楽章から成り、奇数楽章はテノール独唱、偶数楽章はアルトが独唱を受け持っている。
第1楽章:現世の悲嘆をうたう飲み歌
第2楽章:秋の中で孤独な人間
第3楽章:青春について
第4楽章:美について
第5楽章:春の中で酔えるもの
第6楽章:告別
ドイツ語で歌われる歌詞は漢詩のニュアンスを残しつつ厭世感を漂わしているし、曲調もところどころに効果的に使われている五音階が東洋的な香りを醸し出している。
圧巻は第6楽章で全曲の半分近い長大な曲であり、現世との別れがアルト独唱で切々と歌われる。
この楽章の原詩が孟浩然と王維によるものであった。
「永遠に、永遠に・・」という歌詞で終わるこの曲を聴き終えたときに私が感じたものは救いようのない絶望感と灰色の世界であった。

その後マーラーを聞きこんでいったが、この『大地の歌』と『第9交響曲』とが双生児のような関係であることがわかってからは尚更「告別」の重要性が理解できた。
さらに吉田秀和氏の著作から、この曲とベートーヴェンのピアノソナタ「告別」との関連性を知らされてからは作曲家マーラーにより興味を持てるようになった。
時代は違ってもドイツ音楽の底流を流れているものは脈々と受け継がれているのである。

前述したワルター指揮、ウイーンフィルの1952年録音盤はキャスリーン・フェリアーのアルトが素晴らしいが、テノールのパツァーク私は好きじゃない。
バーンスタイン指揮、ウイーンフィルの1966年録音盤ではフィッシャー・ディースカウがアルトのパートを歌うのだがなかなか面白く聴ける。
一番お気に入りはクレンペラー指揮、フィルハーモニアの1966年盤でヴァンダーリヒのテノールもルードヴィヒのアルトも素晴らしい。
クレンペラーのテンポも悠久の大河を思わせる堂々たるものである。

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