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2006年2月20日 (月)

第十交響曲

gmマーラーの残した最期の作品は「第十交響曲」である。
しかしこの曲は作曲者の手によって完成されることはなかった。
第一楽章のアダージョこそほぼ完全な形になっているが、その他の楽章は断片的なスケッチで残されたまま、マーラーはこの世を去ってしまったのである。
シューベルトの「第八交響曲」やブルックナーの「第九交響曲」とならんでマーラーのこの交響曲も”未完成”なのである。

私が常々不思議に思っていることは、古典の作曲家たちに見られる晩年に向かうほど作品が深みを増していく傾向である。
ベートーヴェンで言えば晩年のピアノソナタ、弦楽四重奏、第九交響曲は彼の芸術の頂点に位置するものである。
もちろん、中期の「第三交響曲」、「第五交響曲」、ラズモフスキー弦楽四重奏などが優れていることを否定する気は毛頭ない。
しかし芸術の純度という点においては晩年の作品に及ばない。

若くして天才ぶりを発揮したあのモーツァルトでさえ、晩年の「レクイエム」、「クラリネット協奏曲」、「ピアノ協奏曲」、最期の3曲の交響曲は彼の作品の最良のものである。
同じく早逝したシューベルトも「第九交響曲」、ピアノソナタ、「冬の旅」などの作品には31年の生涯の集大成が見られる。
またフォレやバルトークらの晩年の作品も彼らの高い到達点を示しているものである。

マーラーの「第十交響曲」は、しばしばその第一楽章だけを取り上げて演奏される。
これは不思議な音楽である。

ヴィオラのソロで開始されるという交響曲らしからぬ導入を経て、薄い大気の中を漂うように旋律が繰り返されていく。
ところどころで楽器の数は増えていくのだが、合奏を拒否するように急速にフェイドアウトを繰り返す。
曲の後半、恐ろしいばかりの強奏があるが、地獄の深淵を垣間見させられたような感覚を覚える。
私は最初にバーンスタインの指揮でこの曲を聴いたのだが、本当に恐ろしかった。

本来の構成は五楽章からなるこの曲はイギリスのデリック・クックによって全体像が組み立てられた。
クック版として何人かの指揮者が録音しているが、他人の手が入っていることをさしおいても壮大な建築物であることは認めざるを得ない。
特に第五楽章(フィナーレ)のラストの太鼓の強打にはマーラーがこの曲を通して訴えているのが”生への賛歌”であることがわかり、聴き手の胸を打つことであろう。

サイモン・ラトルやジェームズ・レヴァインなど聞いたが、私が一番好きなのはクルト・ザンデルリンク指揮、ベルリン交響楽団の演奏のもの。
曲に耽溺しすぎていないので全体像がつかみやすいからである。

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