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2006年1月22日 (日)

LIVERY UP YOURSELF

bus"BOB"といえばまずボブ・ディランを思い浮かべるけど、もうひとり私にとって大事な人がいた。
本名Robert Nesta Marley、そうボブ・マーリーである。

多くの人と同様、最初に彼の存在を知ったのはクラプトンがカバーした「I Shot the Sheriff」であった。
クラプトンのヴァージョンではリズムよりメロディのほうが強調されていたので、いわゆるレゲエとしてこの曲を聴いたわけではなかった。
ポップでキャッチーなヒット・チューンだなって思っただけであった。
しかし曲の大ヒットはオリジナルをいやでも意識させることになり、ボブ・マーリーの名前は世界中に知られることになった。

1975年のロンドン公演を収録した『LIVE!』は今なお不滅の名盤であろうが、初めて聞いたときには正直言ってそれほど感心しなかった。
幼い頃からクラシックに親しんできたせいであろうか、音楽に対する私の姿勢は常にメロディ重視であった。
細野晴臣さんの言葉を借りればそういう聴き方は「頭で聞く」スタイルであって、それはそれで良いのかもしれないが、レゲエはそういう聴き方をしていても理解できる種類の音楽ではない。

レゲエのリズムは心臓の鼓動と同じく2ビートである。

本当にボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが解ったのは1978年のライブアルバムである『BABYLON BY BUS』を聞いてからである。
世評的にはロック色が強いとかであまり良い評判ではなかったようであるが、このアルバムの、特に最期の3曲に受けた感銘は忘れがたい。(レコードだと2枚組だったのでSIDE4であった)
時間も場所も超越してステージと一体化していく自分を発見して驚いたのである。

それから時間を遡って、私はボブ・マーリーを体験していった。
『KAYA』以前のアルバムに見られる泥臭い感覚も、抵抗なく受け入れることが出来た。
そうなると『LIVE!』の、特に「No Woman No Cry」がどんなに感動的な演奏であるかが理解できた。
「Get Up, Stand Up」が沢田研二や萩原健一に大きな感銘を与えたことも素直に受け入れることが出来た。
もちろん、おそらく自分自身の命が限りあるものだと感じだしてからだと思うが、メッセージ・ソングからラブ・ソングへと変換していった後期のボブ・マーリーもとても感動的である。
「One Love」「Is This Love」等の曲は人類愛を歌い上げたすばらしい曲である。

なんで36歳で死んじゃったんだろう。

気分がマイナーになったときはボブのメッセージを聞いて頑張ろう。

「元気を出せよ、いやとはいわせない
 うじうじするなよ、この俺が言ってるんだからさ
 元気を出せよ、つまらない奴にはなるな
 もっと元気を出せよ、レゲエってやつはイケてるぜ」

            (LIVERY UP YOURSELF 山本安見;訳)

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コメント

私は来日公演行けませんでした。
たしか4月でしたよね。
あれが最後になるとは思ってもいませんでしたし.....

投稿: Reザジ | 2006年1月25日 (水) 08時22分

ボブ・マーリィとウェイラーズ、ただ一度の来日は79年でしたかね。
私、家人と四才の娘の三人で、新宿厚生年金会館の公演を観ましたです。
後ろで聞き覚えのある声がするので振り返ると、浅川マキさんと山下洋輔さんが並んでいたことを懐かしく思い出します。
うん、忘れていたブログのネタがあったぞ。(^0_0^)

投稿: 桃色吐息楼主 | 2006年1月24日 (火) 20時45分

レゲエといえば、和製レゲエの最高峰である「もう一度抱いて」を忘れるわけにはいかないですね。
私のドーナツ盤はもうクタクタにへたっておりますです(・ω・)

投稿: Reザジ | 2006年1月23日 (月) 22時39分

「No Woman No Cry」の作者クレジットに“Vincent Ford”とあって不思議に思ってたんですが、どうやらトレンチタウンの貧しい時代をボブ・マーリーと過ごした仲間のようで、実際に曲は書いてないにもかかわらずクレジットされたそうです。
両足を失い車椅子に乗るVincent Fordの写真を最近音楽誌で見て以来、名曲の裏側にあるアナザー・ストーリーって深いなぁ~と、改めてあの曲が好きになりました。

ところで、加藤和彦さんはかなり早い段階でレゲエを紹介されてますよね。(恋のミルキーウェイあたりから?)
イーノ~スパークス~加藤和彦~ゲンスブール~ボブ・マーリーが、ザジさんのブログを読んでいて(僕の中で)繋がった気がします。

投稿: さかな | 2006年1月23日 (月) 04時05分

1975年といえばちょうど本格的にディランを聞き始めた頃で、私の中でもボブ・マーリーの位置づけはちょっと低かったです。
その後のレゲエの盛り上がりとは次元の違うところに彼の活動の真意はあったのだと気づいたのはずっと後になってからで、不勉強を恥じたものです。
当時のアイランド・レーベルはスパークスやイーノ等、才能豊かで個性的な面々が数多く所属していましたね。

投稿: Reザジ | 2006年1月22日 (日) 18時49分

ザジさん、こんにちは。
当時この翻訳をやっている山本安見さんが日本に初めてのレゲエレコード専門店「NATTY DREAD」を、吉祥寺にオープンさせました。
おなじく音楽ライターだった高野裕子さんも働いていました。地元ということもあり、随分通いレゲエについて教わりました。
ただ当時はカルチャー、サードワールド、ピータートッシュなど、英国経由のものが多かったです。キース・リチャードのソロシングル「ハーダーゼイカム」なんかも、そこで初めて聞きました。
学生であんまり買えなかったけど、好きになったレゲエは今日まで続いています。
僕も最近ボブ・マーリィ聞きなおしています。
20年くらいスタンダード過ぎて聞いていなかったのですが、今改めて偉大さを再確認しています。

投稿: 文造 | 2006年1月22日 (日) 12時11分

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