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2005年11月 1日 (火)

中津川フォークジャンボリー

nakatsugawa1971年に岐阜県中津川で開催された「第3回全日本フォークジャンボリー」は、その後の日本の音楽シーンを大きく変えていくイベントであった。
それまでアングラだマイナーだと言われていたフォーク・ロック系のアーティスト達に、いきなりスポットライトが当てられてしまったのである。

六文銭、あがた森魚、遠藤賢司、なぎらけんいち等がマスコミに取り上げられるようになり、音楽雑誌には彼らの曲が譜面で載るようになった。
「11PM」に遠藤賢司が出ていたことがあって、司会の大橋巨泉が「どんな音楽が好きなの?」と質問すると、例のボソボソとした口調でつまらなそうに「ニール・ヤング.....知らないでしょうけど...」と答えた。
それを聞いた巨泉が「知ってるよ」と言ったけど、絶対知らないくせにって思ったものである。

メジャーへの足がかりが出来たことで、それまで地道な活動をしてきた本物のアーティスト達はより警戒心を強めていった。
高石友也、西岡たかし、岡林信康、高田渡などである。
一方でチャンスをつかんだことで折角の才能を枯渇させたものも、またメジャーな道へと踏み出していったものもいた。
なかでも吉田拓郎は既存のフォークをあざ笑うかのようにいち早く商業主義に走ったが、それに煽られるファンもまた多かった。
サブステージで延々と歌われた「人間なんて」に本物の叫びを感じて熱狂する聴衆はメインステージの進行を妨害し、ステージ上で討論会を開いたりした。

加川良は第2回(私は未見)のフォークジャンボリーで「教訓Ⅰ」を歌い、一躍有名になっていて、今回もそのステージを一番期待されていたシンガーであった。
非常にシャイで真面目な人柄のようで、期待の大きさに怯えているかのように見えた。
本質はカントリーに根ざした人なので、高田渡・岩井宏らと3人でのステージがいちばん楽しそうであった。
クラスで地味な子たちが仲良くしているような印象を受けたものである。

三上寛のステージは見られなかったが、見た人は異様な感銘を受けたようである。
曰く「三上寛は歌っていることで正気を保っているのだろう云々....」。
あがた森魚のステージもおどろおどろしい雰囲気が漂うもので、切々と歌われる「赤色エレジー」は後にラジオ等で耳にしたものより芝居がかってないぶん胸に染みた。

しばらくしてキングレコードからこのときのライブ盤が2枚組で発売された。
3日間のイベントの全貌を伝えるにはあまりにも端折りすぎているように思ったが、観客の戸惑いや苛立ち以外はうまく収録されている。
CD化されたその音源を久しぶりに聞いてみたが、懐かしいような恥ずかしいような不思議な気持ちになった。
ともかくメインステージで演っている時には同時にサブステージや黒テントで全く別の演奏やパフォーマンスが行われていたのである。
全部の観客が一つのステージに集中していたわけではなかったことが重要なのである。

その後、メディアに乗っかって様々なフォーク・ロックのアーティストが輩出していった。
彼らの歌う「怒り」も「平和」も「やさしさ」もすべてがポーズに過ぎなかったのに、多くの聴衆は本物だと信じてもてはやしたのであった。
このイベントは日本のフォーク・ロックがノンフィクションからフィクションへと移り変わる分岐点であったといま思う。

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コメント

私を連れて行ってくれたのは小学校6年生のときから麻雀を教わっていた、当時東工大の3年生だったKさんでした。
(すごい大きなイベントがあるから一緒に行こうと誘われました)
もっとも本人はフォーク・ロック系はあまり好みではないようで、あおい輝彦の「二人の世界」を高らかに歌う姿しか記憶にありません。
私がBOB DYLANを知ったのはさらに数年後のことでした。

投稿: Reザジ | 2005年11月 2日 (水) 21時57分

71年のフォーク・ジャンボリーは、箱根アフロディーテから日をおかずに開催されたはずで、はしごをした人も居たやに聞き及んでいます。
「三上寛は歌っていることで正気を保っているのだろう...」という一節、彼の強烈なファンとしてはツボにはまって受けました。
それにしても、ザジ氏は当時中学生のはず、一人で行ったのですか、それとも…??

投稿: 桃色吐息楼主 | 2005年11月 2日 (水) 20時16分

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「帰れコール」が一般化したのは、やはり1970年前後のことなのだろうか? 寡聞に [続きを読む]

受信: 2005年11月 2日 (水) 11時35分

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